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ブログ引越し
2010-03-30 Tue 22:58
 実生活のほうにあわせてブログもリニューアル。ということで引越しします。引越し先はこちら。同じfc2だけども、あえて新しいところにいくことによって、新たな方向性を見出せそうな気がした。
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怖い絵 感想
2010-03-28 Sun 15:28
 「怖い絵」は題名どおり、怖い絵を紹介していく本だ。「怖い」にも種類があるが、絵自体が怖い、絵に込められた意味が怖い、絵を描いた人の背景が怖い、といったものに本書の絵は分類されるだろう。

 自分が怖いと思ったのは、「我が子を喰らうサトゥルヌス」、「ホロフェルネスの首を斬るユーディト」、「イワン雷帝とその息子」である。つまり、絵自体が怖いタイプがやはり怖かった。純粋に絵から発されるエネルギーを感じてしまう。他の絵は怖いというより、背景を読んで「ほほー」となる感じだった。

 「サトゥルヌス」はそのままだが、絵の枠に収まっていない体とその開いた目、無残に体までくいこんでつかまれている子、を見れば誰だって恐ろしい。「ユーディト」は絵描きの背景もなかなか怖く、「怨念」じみたものを感じるのはそのせいかなと思う。カラヴァッジョの絵と比較すればそれは明らかに違うと感じた。「イワン雷帝」は横に転がった杖の金属の感じがよく描かれていて、杖が倒れてゴトンと音を立てる様子まで頭に浮かんだ。それと同時に、こんな硬い金属でコメカミあたりを殴打される姿を想像して、まるで殴打されたような痛みを感じた。

 amazonのレビューを見てみるとやはりみんな思っていたらしく、絵の配置がおかしい。推測だが、編集時点では本の折り目というものを意識しないでパソコン上で見ることができたのかもしれない。絵によっては解説されている部分が、本ののど(のどという名前であることを初めて知った)でよく見えなかったりした。これはすくにでも解消すべき部分だろう。絵を題材にしている(しかも解説本)のだから、たとえ編集者が絵のド素人であったとしても、これはまずいと感じるべきだったろう。
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ニッポンの思想 感想
2010-03-28 Sun 14:48
 前回読んだ「言語ゲーム」に続いて読んだものとして。

 「ニッポンの思想」は80年代からゼロ年代にかけての思想を年代順に考察していった本である。考察というよりは、その時代にトリップして眺めてみた、といったかんじだろうか。総括の部分は最初に書かれていて「パフォーマンス」「シーソー」「プレイヤー」「思想市場」をキーワードに掲げている。

 本書はやはり自分には難しかった。東浩紀の新書を読んだ程度のにわかには分からない用語も多くて、読むのに苦労した。ただ、ニューアカ世代に関しては最も抽象的で分かりづらかった気がした。いや、本来抽象的な考えというものはそう簡単な言葉でいえないことも多いのだから仕方がない。

 ただ読みながら感じたのは、「大きな物語」が終焉して、「小さな物語」の集合体で構成された世界を消費するような世界になったあと、どのようにこの世界はなっていくのかな、という単純な興味がわいた。日本人の思想の表層の部分は変異しやすいようで、もっとナイーヴな世界になっていくのだろうか。これ以上、細分化された集合体ができあがっていく世界で我々が「共通でいる安心」みたいなものを得るのは難しいのだろうなと感じた。

 あとは大塚英志の作品を漫画でしか読んだことがないので、90年代はどういった活動を行っていたのかというのも参考になった。

 それとついでに「デリダ」という本も読んでる途中に購入した。いや、非常に個性的な本だったので衝動買いしたというのが事実だが。この本自体が脱構築を目指そうとしたのだろうか、とか勝手に思ったり(素人の言葉遊びなので厳密な定義のツッコミは勘弁ということで)。「脱構築」という概念は、捉えようとすると逃げてしまうと感じた。いや、脱構築はこうなんだと考えようとすること自体が「脱構築」の理念に沿っていないのだからそうなんだろう。

 ゾンビのたとえのおかげで中盤部分は読めたように感じる。決定不可能性をうまく扱い、形而上学の概念をずらしていこうとする部分は、まず思いつくあたりからすでにすごいと思った。

 ただ、後半部分の「エクリチュールと文学」以降は、本書の定型的な批判例として挙げられている「言葉遊びで混乱させようとしている」のではないかと私も感じてしまった。いや、一見そう思えてしまうような概念だからこそ、理解するのが難しいのだろう。いずれ、時が経てばすとんと腑に落ちる時が来るかもしれない。
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はじめての言語ゲーム 感想
2010-03-19 Fri 02:36
 「はじめての言語ゲーム」はウィトゲンシュタインが後期に考えていた「言語ゲーム」について扱った本である。本書はわりと歴史的な経緯についても考慮していて、一見関係のなさそうなことも説明している。ただ、ウィトゲンシュタインも人間である以上、周りの環境にまったく影響を受けないということはないだろう。

 さて、本書を読みおわった感想だけども「よく分からない」というのが正直な感想だ。以下は個人的なまとめである。ウィトゲンシュタインは前期の「論考」で「語りえるもの」と「語りえぬもの」の区別を行い、その上で「語りえぬものについては沈黙せねばならない」という言葉で「論考」を締めた。そして、「哲学探究」では語りえぬものについても触れた新しい概念「言語ゲーム」を作った。本書では言語ゲームを「規則に従った、ひとびとのふるまい」と説明している。規則は世界のルール、ふるまいは認識に基づいた行動、みたいなものなのだろうか。実はここが個人的に曖昧だ。「ふるまい」というものが行動そのものと見ていいのだろうか。

 そして、その言語ゲームは本来備わっているものらしい。だから、考えるな、見よ、ということで人間は言語ゲームを出発点としている。既にあるものから始まっているのでそれ以上は考えない、みたいな考えは以前書いたエントリー

 我々は有限のこの世界で、行動の理由を問えないレベルまで分解された理由以上は考えることができない。それは整数集合の世界でπという数値を無理にあてはめるようなものだ。その上で、生きていく意味を考えることは物理的制約上の分解不能な理由レベルの組み合わせによって、自分の意志を持って決めていくことだ。

に強いて言うなら、似ているのかなと思った。

 初心者に厳密なことを説明するのはめんどくさいからなのだろうか、楽そうなところだけを見てしまったような印象を受けてしまった。たぶん途中の仏陀の話や本居宣長の話が入ったからだろう。話単体としてはおもしろいのだけれども、言語ゲームについて早く書いて欲しいと思ったのが正直なところだ。実際に適用した場合の話なのは分かるが、言語ゲームの本としてここまでページを割く必要はない気はする。

 最後の章ではポストモダンと絡めても言語ゲームは使えるよ、という話になっている。本書では細かいことは省略したのかわからないが、言語ゲームにあらゆる文化を適用してみて、どういった解決が出来るのか正直よくわからなかった。確かに言語ゲームによって適用そのものは可能かもしれないが、それがすなわち文化間の争いを解決する方法になるかは定かではないからそう思うのだろう。とはいえ、最後の章は次に読もうと思っていた「ニッポンの思想」の下地の部分が読めた気がするので、それは参考になった。
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殺戮にいたる病 感想
2010-03-09 Tue 05:36
 久しぶりに叙述トリックにみごとにはまる。むしろ、はまらない人がいるのか、というくらい。「殺戮にいたる病」にはまず冒頭からミスリードを起こすようにしている。まるで冒頭に書かれたものがエンディングかと思って最後まで読みすすめると、不自然な感覚に襲われる。矛盾したことを書いているのではないかと思うと、最後の6行で呆然とする。

 だまされたのは冒頭部分から既に叙述トリックを使っていることもそうだろう。それに加えて、3つのパートをうまく交差させ、犯人の異常な心理を描こうとするリアルさに惹かれてしまうために、叙述トリックに気づかないのだろう。これは叙述トリックの本です、と事前に分かっていても騙されるだろう。

 (以降ネタバレ注意、白文字で隠してある)

ただ、蒲生稔の息子も妻と同じくうすうす気づいていたタイミングというのが一致しすぎるとは思った。8ミリテープを見るタイミングなんかは特に。それと息子が蒲生のいるホテルにいくタイミングとかも。
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サマーウォーズ 感想
2010-03-05 Fri 06:21
 先ほどサマーウォーズを見終わったので感想を書く。なんだか矛盾というか説明不足なところが多いのをダラダラ書きそうなので先に感想を一言で。一言で言えば「プロットはわかりやすいし、一部のディテールはよいが他がダメ」。ネタバレも含むので注意。

 全体、つまり事の流れは分かる。主人公が由緒ある家に連れてこられる。いろいろ紹介が終わった後におばあちゃんが死んでしまう。家族が悲しんでいる中、地球の危機が訪れる。ドタバタがあったあとで、最後には地球が救われてハッピーエンド。プロット自体はよくもわるくも王道をいっている。家族などでも見やすく、ということを意識すればこういった風になるのは当然だ。同時期に放映したエヴァはそうならない。

 先に良かったところを挙げると、「親戚の家族のうるささ」だ。自分も親戚が集まったころはあーなんかこういううっさい人いたなー、と思ったことを覚えている。でも、うっさいと思っても特有の居心地のよさというものもあった。そういった感触を思い出してしまうくらいうまく描写している。

 あとは女は現実主義で男はバカといった対比もよくできている。特にこれに限らず小学校のクラスでもそうだが、男は基本的にバカなのだ。スパコンもってきちゃったり、そういうとこは妙にテクニカルだけどベクトル自体がバカ、そういうのが男だ。

 つまり、「家族がいる」という感触はよく描かれていると思う。「分家はどうの、本家はどうのー」とおばさんが小うるさいとことか、みんなで揃ってご飯食べてるとこでシモネタをいきなりいうおっさんがいたり、一部が勝手に野球観戦して盛り上がったり、おじさんがいろいろ材料もってきたり、とかそういったとこは大分意識してるらしくよく描かれている。いいこともわるいとこもひっくりめて人間って家族として集まっているわけだ。

 それと、侘助とおばあちゃんの関係である。隠し子だった侘助はあの家族の中で肩身の狭い思いをしているはず。それを考慮すれば、おばあちゃんの侘助に対する愛情は特別だったはずである。侘助自身もおばあちゃんを大分意識しているのは劇中で分かる。おばあちゃんが「死ね」とまで怒ってしまったのも、そんな侘助がお金で解決しようとするからだろう。

 あとはアナログとデジタルの対比。あれだけネットワークが発達した世界であの家だけは昭和との違いがほぼない(大型液晶テレビがあるけど)。花札がでてきたり、電話帳が出てきたり、とそういったのは監督が意識したのだろう。アナログが結局よい、というチープな結論にしなかったのは良かった。どちらも併用するのがベストだろうから。

 以上の3点はよかったと思う。あとセカンドライフ的なネットワーク世界の描写も良かったと思う。たぶん一般人にネットワークの世界を説明するのはああいうヴィジュアルがいいだろう。それにエンジニアがああいったヴィジュアルを用いるのみで整備ができるようになればそれこそ「高級」プログラミングも可能になるだろう。

 さて、悪いところ(というよりツッコミ)もあるのだが段落で書くと長いので箇条書きにする。
・OZのネットワークのパスワード解除がキーボード数回タイプしただけでできるのはお粗末。忘れたが2000桁くらいの数字でロックされてるんじゃないの?

・公共ネットワークもアカウント取得で権限取られちゃうのもお粗末。ああいうのは閉じたネットワークで構築するのが常識かと。仮にネットワーク接続するならば、暴走したときのフェイルセーフ対策をかなり万全にしているはず。特にお堅い政府系ネットワークは。

・ネットワーク内の戦闘シーンで、なんであんなにキーボードを打ちまくるのか分からない。本当にすごいやつってマクロ組むから軽く打つだけかなと思う。「それらしさ」を一般人に伝えるための描写ってのは分かるけれどもさ。

・ヒロインがあまりに身勝手すぎる。勝手に長野県まで連れてこられてしかも婿のフリなんて冷静に考えて嫌に決まっている。しかも、つれてきたのに侘助ばっかり相手して、主人公はあのアフェーの大家族の中でどうしろというのだ。おばあちゃんが死んでしまって泣いたときだけは主人公に頼る。侘助がいればそっちに頼ったんだろうけど、主人公に対する思いはその程度。そして、最後に危機をすくったら、急に好きとかいい始める。こんなんですぐ好きになる女はすぐに違う男を好きになるぞ、と思った。男女の心の変化の描写なんて映画の定番なのに、ここのところが大分抜け落ちている。小指にぎって、特技見せれば(しかも数学は女性には魅力がないと思われる)、女の子は恋に落ちるんですか。

・侘助とおばあちゃんの関係の描写がもう少し欲しい。侘助は第2の主人公とでもいうべきポジションにいるのだから、もう少しおばあちゃんとの過去についてつっこんでもよかったと思う。そうすれば、侘助がどんな思いで車を引き返してきたかわかってぐっと来たと思う。

・アメリカからオファーが来るようなプログラム組める侘助のほうが、主人公より明らかにコンピュータに対するレベルが高いからパスワード解除してくれる可能性が高い。なんせ、いくら数学オリンピック候補といわれる数学脳だろうと暗号解読に必要なのは、コンピュータアーキテクチャの知識だから。それとコンピュータでブルートフォースぶんまわしのほうが確実によい(と、思ったが250Tflopsのマシンで2時間という制約では余裕ではないと計算して分かった)。

・ラブマシーンとのコイコイバトルはなんかもう少し盛り上がらなかったのだろうか。どうせ勝つし、みたいな感じで緊迫感がなかった。たぶん猪鹿蝶とか五光とか連発されて、勝ち前提なんだなという感じがしたからだろうけど。ラブマシーンに確率ハックされてたら一瞬で負けてたと思う。あと、ヒロインがあんな大事な戦いをまかされた説明がなかったかな、と。

・1億人くらいからユーザ譲渡をいきなりされるほどみんなに見られていたコイコイバトルなのに、野球観戦はよく中止にならなかったなと。つまり、世界の危機だってことは世界中でわかってたのだから。高校野球は夏の象徴だから別モノなのは分かるけど。

・探査機が衝突したけど、あの規模ですむのだろうか。

・そもそもおばあちゃんはどうして主人公のことを気に入ったのだろうか。主人公が「みんなといると楽しい」とかいっただけでおばあちゃんは感情移入したのだろうか。

・・などなど。たぶんこういうツッコミは製作側もわかってたのだろうけれども、尺の都合上無視したのだろう。
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ゾウの時間 ネズミの時間 感想
2010-02-28 Sun 14:38
 「ゾウの時間 ネズミの時間」は動物のサイズという観点から、動物の持ちうる固有の世界観について説明した本だ。著者が書いているように、動物には自身の時間間隔、世界観がある。

 本書がいいと思ったのは「ざっくり計算、しかし的をはずさずに」ということだ。今で言うフェルミ推定に相当するのだろうか。サイズによって動物の消費エネルギー、食事量、生活圏などが自ずと決定されていくことを分かりやすく説明していておもしろかった。すらすらと読めるが、しかし概算も忘れずにする、というのは科学本において大事なことだと思う。厳密なことをいえば、様々な要素がからんでいるのは当然だが、細かいことにこだわりすぎることは一般読者は好まない。正確に言えば、新書には向かない。細かいことは専門書でやるというほうがよい。

 本を読んで思ったことは、動物は無駄がないということだ。もっといえば無駄さ加減にも無駄がない。細胞のサイズや骨格の大きさから自ずと今の形になっていく。でも、ちょっとした変化には耐えることができる。もし、人間が科学の力によって自身の体を改造することが可能になったとしても、それは大きなメンテナンスが必要となるだろう。
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