論理力とはすなわち国語力。

「論理トレーニング101題」は、題名どおり論理系の問題を繰り返して論理力をつけようという本。論理力をつけるためにはトレーニングあるのみ、ということで練習がメインとなっている。
この本では論理学で扱うほどの厳密な意味での論理は扱っていない。むしろ、あまりにも厳密な場合は日常言語を乖離してしまって実用的ではなくなる。ある程度、社会が認めているところまでを最低ラインとして(数学でいう公理)論理を展開させる。
問題を解いていて、やはり思うのは論理力とはすなわち国語力だということだ。数学記号を使って記述もできるが、普通は母国語を使う。人とのコミュニケーションは最低限の論理力が前提となっているだろう。そうでなければ、話のつながりが分からずに会話が成立しない。だから、論理力をつけるとはコミュニケーション能力をつけるということにもつながる(この場合のコミュニケーションは言葉の定義などをしっかりと伝え合って正しく理解しあうという意味でのコミュニケーションとする。場を盛り上げたりするタイプのコミュニケーションはまた別)。
しかし、「論理力とは国語力である」は正確には間違いである。なぜなら、論理力とはある事象とある事象を適切につなげることにあるが、国語力は必ずしもそうとは限らない。詩をつくる能力など美しい文章を考えたりする能力はまた別の力が必要だからだ。したがって、正確には「論理力は国語力のひとつである」が正しい。
本書の問題を解いた結果、自分は思っていたよりも論理力がないということがよくわかった。接続詞の使い方を時に間違えている可能性がある。しかし、それに気づくことができたことはよかった。